再論: NHKスペシャル「シリーズ原発危機 安全神話~当事者が語る事故の深層~」
2011-12-01
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とりあえず玄海原発は本日、今のところまだ崩壊していないようです。さてところで・・・
「『安全』『安全』と言っているうちに、つい自分たちもそんな気になり、そうして出来上がった安全神話のせいで、こんな事故になってしまった」という、事故責任者たちの“逃げ口上”、この遁辞を真に受けて制作された“NHKスペシャル「シリーズ原発危機 安全神話~当事者が語る事故の深層~」”、そのお間抜けさはともかくとして、あまりにボーっとしたアプローチが功を奏してか、いわゆる“原子力村”住人たちの素直な言葉を引き出すのには成功しているようです。
開始41分ころからのコーナー「第2章 安全神話の拡大」。ここでは、シビアアクシデント(重大事故)対策を国の“規制”とするかしないか(法的根拠のもと電力会社の対策を国が監視する体制をとるかどうか)の決定過程が描かれます。チェルノブイリ原発事故を受けて、原発行政関係者たちはシビアアクシデント対策を検討しなければならなくなった。しかし、電力会社としては原発の立地する「地元」に対し“絶対安全”と言ってきた手前、今さら、“安全でなかった場合の対策も用意します”とは言えない事情があり、これは国も同じで、原発運転差し止め裁判において“重大事故はありえません”と主張してきた行きがかり上、やはり“重大事故対策も用意します”となっては裁判に負けてしまうという事情があった・・・と、まずは解説的な場面が続きます。そして番組ナレーションは述べます、「裁判への影響を抑えたい国と、地元の混乱を避けたい電力会社、両者の思惑が一致」し、調整が行なわれ、最終判断は原子力安全委員会に委ねられた、と。1987年から1992年にわたって議論がなされますが、結論はもちろん、“電力会社の自主的取組に任せ、規制とはしない”。
ここで、この結論、シビアアクシデント対策を原子力安全委員会の「規制」としなかったことについて、元委員長佐藤一男に語らせます。“事業者自身が自覚して自らの責任を果たしてくれることがまず第一に必要なんだと、そういう結論に落ち着いた・・・よってアクシデントマネージメント(事故対策)これは規制ではないと”なったのだと。
これにぶつけた別のインタビュー場面、福島第二原発の所長などを務めた笛木謙右(ふえきけんすけ)の話は、NHK取材班のクリーン・ヒットです。59分ころからの場面です。「起こるか起こらないかわからないことに対して、そういうこと(安全対策としてお金を何百億もつけること)が難しいんだ。原子力安全委員会が決めて、規制としてやりますよというのであれば、それはたぶんやったと思いますけど、自主的にやれなんていうとそんなもん・・・、だから自主的というのはないんです」。
ただし番組としてのまとめ方は強引です。かくして「責任の所在があいまい」になったという所までは正しいのですが、「背景には安全神話」という点が結局強調されます。
笛木の発言と同工異曲の発言は、番組の最後のコーナーでも別の人物から発せられています。東電原子力本部 澤口祐介 元副本部長の談です。「経済的な利益よりもそっち(安全対策)のほうがよっぽど重要だと、というコンセンサスを作れれば、(対策をとるように)なると思いますけどね」。
笛木・澤口が繰り返し語ったのは“安全よりも利益を優先した”ということです。危険性を認識していなかったわけではないのです。彼らは“経済的誘惑に抗して安全対策を取ることは出来なかった”と、語っています。安全だと勘違いしていたから安全対策を施さなかったのではないのです。そして、澤口の発言は、今でもそれがそのままだということを示唆しています。「(利益より安全が重要だという)コンセンサスを作れれば」、つまり、未だにそんなコンセンサス、作れていないのです。
もし安全神話がこれまでの原発運営を支えていたとするならば、福島原発事故でその安全神話が崩れた今、従来と同じ原発運営はありえないでしょう。しかし、経産省・電力会社は、海江田元経産相を動かして、従来通りのやり方で原発再稼働を行なおうとしました。彼らは、安全神話など最初から信じていなかったのです。危険があることなど百も承知の上で、また原発を動かそうとしているのです。そもそも、安全神話なんて、原発運営当事者たちにあるわけがないのです。今日崩壊したかもしれない玄海一号機のような実際の原発を目の前で扱い、他方、常に反原発運動などの批判に晒されながら、彼らは必死に「神話化」作業を続けていたのですから。
さて一方、NHK。番組の最後でNHK取材デスクの小貫武が語ります。
「取材した人々の多くは反省の弁を述べていた。にも関わらず、最悪の事態には至っていないとか、これ以上の事故はおきないといった言葉」が出てくる、「リスクに向き合おうとしない体質は、依然、変わっていないのではないか、それが私たち取材班の実感です。しかし原発のリスクに向き合ってこなかったのは、果たして国や電力会社だけだったのでしょうか、事故が起きてからしかその問題点を指摘することができなかった私たちメディアも原発の安全神話に捕らわれていたことは否定できません。問題に気づきながらそれを曖昧にし、時には無かった事にしてしまう、これを日本社会の特徴だとかたずけるわけにはいかないと思います。」
自分で言っていることがわかっているのでしょうか? 全国各地で、原発の危険性を指摘する運動や訴訟が続けられ、評論も多くありました。民放や新聞について言えば、それらを無視し、国や電力会社の発言をなぞっていく理由は理解できます。広告料という利益のほうが安全よりも重要だというのは、国や電力会社と同じロジックでしょう。しかしNHKがあっさり国や電力会社の主張に迎合しなければならなかったのは、なぜなのでしょう。「私たちメディアも原発の安全神話に捕らわれていたことは否定できません」。なるほどNHKは、そこまで馬鹿だった、という告白を行なっていることになります。
ここで、この結論、シビアアクシデント対策を原子力安全委員会の「規制」としなかったことについて、元委員長佐藤一男に語らせます。“事業者自身が自覚して自らの責任を果たしてくれることがまず第一に必要なんだと、そういう結論に落ち着いた・・・よってアクシデントマネージメント(事故対策)これは規制ではないと”なったのだと。
これにぶつけた別のインタビュー場面、福島第二原発の所長などを務めた笛木謙右(ふえきけんすけ)の話は、NHK取材班のクリーン・ヒットです。59分ころからの場面です。「起こるか起こらないかわからないことに対して、そういうこと(安全対策としてお金を何百億もつけること)が難しいんだ。原子力安全委員会が決めて、規制としてやりますよというのであれば、それはたぶんやったと思いますけど、自主的にやれなんていうとそんなもん・・・、だから自主的というのはないんです」。
ただし番組としてのまとめ方は強引です。かくして「責任の所在があいまい」になったという所までは正しいのですが、「背景には安全神話」という点が結局強調されます。
笛木の発言と同工異曲の発言は、番組の最後のコーナーでも別の人物から発せられています。東電原子力本部 澤口祐介 元副本部長の談です。「経済的な利益よりもそっち(安全対策)のほうがよっぽど重要だと、というコンセンサスを作れれば、(対策をとるように)なると思いますけどね」。
笛木・澤口が繰り返し語ったのは“安全よりも利益を優先した”ということです。危険性を認識していなかったわけではないのです。彼らは“経済的誘惑に抗して安全対策を取ることは出来なかった”と、語っています。安全だと勘違いしていたから安全対策を施さなかったのではないのです。そして、澤口の発言は、今でもそれがそのままだということを示唆しています。「(利益より安全が重要だという)コンセンサスを作れれば」、つまり、未だにそんなコンセンサス、作れていないのです。
もし安全神話がこれまでの原発運営を支えていたとするならば、福島原発事故でその安全神話が崩れた今、従来と同じ原発運営はありえないでしょう。しかし、経産省・電力会社は、海江田元経産相を動かして、従来通りのやり方で原発再稼働を行なおうとしました。彼らは、安全神話など最初から信じていなかったのです。危険があることなど百も承知の上で、また原発を動かそうとしているのです。そもそも、安全神話なんて、原発運営当事者たちにあるわけがないのです。今日崩壊したかもしれない玄海一号機のような実際の原発を目の前で扱い、他方、常に反原発運動などの批判に晒されながら、彼らは必死に「神話化」作業を続けていたのですから。
さて一方、NHK。番組の最後でNHK取材デスクの小貫武が語ります。
「取材した人々の多くは反省の弁を述べていた。にも関わらず、最悪の事態には至っていないとか、これ以上の事故はおきないといった言葉」が出てくる、「リスクに向き合おうとしない体質は、依然、変わっていないのではないか、それが私たち取材班の実感です。しかし原発のリスクに向き合ってこなかったのは、果たして国や電力会社だけだったのでしょうか、事故が起きてからしかその問題点を指摘することができなかった私たちメディアも原発の安全神話に捕らわれていたことは否定できません。問題に気づきながらそれを曖昧にし、時には無かった事にしてしまう、これを日本社会の特徴だとかたずけるわけにはいかないと思います。」
自分で言っていることがわかっているのでしょうか? 全国各地で、原発の危険性を指摘する運動や訴訟が続けられ、評論も多くありました。民放や新聞について言えば、それらを無視し、国や電力会社の発言をなぞっていく理由は理解できます。広告料という利益のほうが安全よりも重要だというのは、国や電力会社と同じロジックでしょう。しかしNHKがあっさり国や電力会社の主張に迎合しなければならなかったのは、なぜなのでしょう。「私たちメディアも原発の安全神話に捕らわれていたことは否定できません」。なるほどNHKは、そこまで馬鹿だった、という告白を行なっていることになります。
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