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責任者は「文化」!? 国会事故調のお粗末な総括

2012-07-12
 「安全神話」というストーリーで無責任体制が構築されていくことに、当ブログは異議を叫び続けてきました(「悪質な世論誘導?NHKスペシャル・・・」、「再論NHKスペシャル・・・」、「国の避難訓練『メルトダウン想定外』・・・」)が、今度は「文化」だそうです。

文化責任批判
(朝日新聞7月12日西部本社版朝刊)

 国会事故調報告書英語版にはなんと、黒川清委員長が、付けなくてもいい序文を付けていたのでした。曰く、“福島原発事故は日本文化のせい”と。で、これだけの大事故にもかかわらず、責任者と名指された者がいない事故調査報告書の不思議な論述、これで正当化されたのでした。

 もともと今回の事故調査、2つの調査委員会の間で、あるねじれがあったようです。政府が立ち上げた政府事故調、当然、責任追及されたくない政府は、目的を文字通り“事故の真相解明=調査”に絞るように設定、これに対し、政府の責任追及をしたい自民党は国会事故調を立ち上げた、のですが、これがうまく行かないようになっているのです。
 まず政府事故調です。民主党というのは、何をやっても意思統一できないところがあって、これが政府事故調の設置でも存分に発揮されたようです。委員に原発批判派を大量登用してしまうし、一部には“霞が関直営”という批判のある事務局ですが、ここに検察関連の人材がかなり含まれていたようで、それほど平和に話しは進まなくなったようです。“調査”のプロということで送り込まれた検察系の人々、彼らが得意とするのは責任追及、“法律的に黒”へと追い込んでいくことです。ということで、調査では、「責任問えるか/問えないか」という問題に関係する資料が結構収集されたようです。でも全体の方針は「事実解明が主要任務、責任追及はしない」ということですから、“それはそっちにおいといて”、で、そこ外すと目的の“真相”は、あれ、これっぽっち・・・。
 で、国会事故調です。自民党の意図は民主党政府の責任追及だったのですが、こちらは霞が関=官僚を排して運営する方針(政府の影響力排除)・・・ということで、実際は個人責任を追求する所までできる人間、人材不足(だって名誉毀損やら何やらで訴えられる可能性もある-場数を踏んでないとできない、検察みたいなことやってる人でないとできない)、という状況に陥ったようです。
 まあ、以上は怪しげな個人的ソースから漏れ聞いた話しを勝手に再構築したものですので、話半分以下で読んでおいていただきたいですが、結局、国会事故調も政府事故調も、当り障りのない、どうしょうもない報告書しか出さないだろうな~、という話しです。それでも東電事故調・国会事故調に対し、一番後出しじゃんけんになった政府事故調、なんか意味のあるもの、出してこないかな・・・。

 さて、朝日新聞の記事、「英米メディア」が、国会事故調報告を“文化のせいにしただけのしょうもない報告書”と批判したことになっていますが、取り上げられているのはブルームバーグの記事と、ジェラルド・カーティス教授の話しだけ、ちょっと「英米メディア」と言うにはソースが少なくありませんか?
 で、ちょっと検索してみました。
 「広範に問題指摘をしているにもかかわらず、報告書は特定の会社役員や官僚個人を譴責していない。」(New York Times
と、確かに、New York Times は文化のせいにして責任者を特定しない報告書のやり方に疑義を提示しています。ただWashington Post の方は、「Report blasts Japan’s preparation for, response to Fukushima disaster」という記事では、黒川委員長の「文化」に関する記述そのものを引用していますが、特にコメントはしていません。
 海(大西洋)をわたってイギリス、The Guardian 紙は、「この事故に責任のある立場に、他の日本人が就いていたとしても、結果は同じであったと考えられる」という報告書内の記述を引用した後に、「関係者名はいっさい記述されていない」と書いています。明確に報告書を非難したものではありませんが、不満感ありありと言えましょうか。
 The Times になると記事が有料で読めないのですが、「fukushima report」と検索して出てくる見出しに「誰にでも責任があるというのは、誰も責任を問われないということだ」という記名記事があります。やはり責任者を特定しない報告書の記述は異常ということでしょう。
 と、いうことで、朝日新聞の記事、妥当なところのようです。英米メディア、「文化のせいにするな」、と言っています。

 しかしこの「文化」についての記述、英語版にだけついているんですね。どういうつもりなんでしょう? 文化と言っておけば外国人は騙せる、と思って書いたのでしょうか? それとも、日本人に向かってこれは通用しない、と考えて、日本語版から削除したのでしょうか? いずれにせよ、まともに仕事(責任の所在の明確化)できていないことに後ろめたさがあって、こういうごまかしの記述、言語による記述のブレ、につながったと、当方では解釈しておきましょう。
 そして国会事故調も無責任体制構築の一翼を担う存在となったことを記憶しておきましょう。


PS. テレビでは、本日山口県知事選が告示されたというニュースが流れていました。候補者の一人が言っていました、「山口を再起動」。野田首相も大飯原発再稼働では、いつも「再稼働」ではなく、「再起動」と言っていました。福島原発事故の責任者が責任を追求されることのない日本社会、お気楽にこういう言葉を繰り返せる日本文化、最低です。


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