公務員の不作為: 福島原発事故と薬害エイズ(5)
2011-10-13
福島原発事故は、未然に防ぐことが可能でした。チャンスは少なくとも2回ありました。1. 東京電力が2008年、10m以上の津波が来る可能性を予測した時。
既に知られているとおり、東京電力は東北沿岸で10m以上の津波が来る可能性があることを予測していながら、何の対策もとらないばかりか、原子力安全・保安院にこの試算結果を連絡したのが今年3月7日、3.11津波の4日前でした。当然、津波対策はなされず、今回の事故へとつながります。
2. 2009年6月、原子力安全・保安院の審議会作業部会で貞観地震・津波の質問がなされ、その後、その作業部会主査が保安院に検討を約束させた時。これについては、本ブログで書いて来たとおりです。この時点で対策を施せば、“十分に間に合っていたはず”です。

それにもかかわらず、なんで福島原発事故になってしまったのか、この出来事に先立つプロセスが雑誌記事になっています。島崎邦彦「予測されたにもかかわらず、被害想定から外された巨大津波」(岩波書店『科学』2011年10月号)です。
そもそも2008年、東電が試算を行ったのは、2006年の原子炉施設の耐震設計審査指針の改訂を受けたもので、この改訂は2002年の政府予測をもとにしています。この2002年の「政府予測」を行った委員会の部会長が、この記事の著者、東大名誉教授(地震学)島崎邦彦氏です。
阪神・淡路大震災後、設置された地震調査研究推進本部(当初、総理府、のち文部科学省が所管)の地震調査委員会の長期評価部会、の部会長として、島崎氏は、地震学の立場から、東北南部・関東北部地域での巨大津波の可能性を指摘する報告を、2002年7月31日、公表したそうです。
しかし彼が委員として参加した中央防災会議(ここで国の防災政策が決まる)が、記録に残っていない津波は無視する、ということに決め、東北南部・関東北部の津波の可能性を、防災対策の対象から外したそうです。中央防災会議の席上で、島崎氏は、貞観地震(津波)についても指摘し、記録にないわけではない、と抵抗したようですが、2004年2月の第2回会合では「大勢が決ま」り、2006年2月に出された大綱では、東北南部巨大津波の可能性はまったく排除された→3.11津波被害につながった、とのことです。
ここで注目しておきたいのは、島崎氏の主張を退けていった人々の画策状況です。島崎氏からの視点で書かれていますから、これだけが事態を決めていった要素かどうかは分かりませんが、彼の記事から要約しておきます。
2002年7月31日ごろ
島崎氏調査委員会の“長期評価”公表に際し、表紙に「『データとして用いる過去地震に関する資料が十分に無いこと等による限界』を考えて、『防災対策などの評価結果の利用にあたっては』注意するよう」という意味の段落が(島崎氏の反対を無視し、委員会も開かず)挿入される。
2002年8月8日
大竹政和東北大教授、今回の“長期評価”は信頼度が低いという意見を地震調査委員会の委員長宛に寄せる。
2002年8月8日
阿部勝征地震調査委員長代理、地震調査委員会で、島崎氏の“長期評価”が、防災対策側との摩擦の種になっていると発言。
2002年8月26日
地震本部政策委員会にて、内閣府の山本繁太郎委員、“長期評価”を含む諸資料の信頼度の評価を要求。
2002年9月11日
前項の要求を受け、地震調査委員会で、信頼度評価作業を行うことを決定。
2003年3月
評価結果公表、福島以南の地震・津波「発生領域C、規模A、発生確率C」(A~Dの4段階評価)。
2003年10月
中央防災会議(会長は内閣総理大臣)第1回会合。島崎氏、貞観地震・津波についての検討を要請。冷たい反応。
2004年2月19日
同、第2回会合。検討対象とする地震を次回までに決定することが決められる。この時点で、貞観地震・津波はそもそも検討対象をどれにするかの検討対象からも外れる。「福島、茨城での巨大津波は過去に経験がなく、防災対策をしていない地元に対し、具体的な対策をするようにとは、とうてい言えないとの強い反対意見」。
2006年2月
中央防災会議、福島県以南の被害を想定しない「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震対策大綱」決定。
2008年
東京電力、“長期評価”を用いて10m超級津波の「試算」を行なう。(→2011年3月7日に原子力安全・保安院に報告されたもの)
さて、島崎氏の話に出てくる人々はどういう人で、何をやっているのでしょうか。
まず、山本繁太郎。この人、官僚から自民党代議士への転身を試みて失敗、落選するも、まだ選挙活動をしているようです。政治資金の出所は、どちらの業界でしょうか?
彼のHPには、「わが国では初めて原子力発電所が被災して原子力緊急事態となり、・・・略・・・しかし、日本の国の力を信頼して、国民が心をひとつにして対処すれば、必ずこの事態を克服できるだけでなく、さらに日本の再興につなげることができると信じている。」と書いてあります。かつて内閣府政策統括官(防災担当)として何をやったかについては言及がありません。
大竹政和東北大名誉教授は毎日新聞の記事にコメントを寄せています。「福島第1原発の建設前の津波の評価が過小だったことが証明された。日本ではすべての原発が海に面している。他の原発についても、津波の評価が十分かを点検する必要がある」のだそうです。何をいまさら・・・。
最後に阿部勝征東大名誉教授。今、地震調査委員会の委員長だそうです。朝日新聞のインタビューに答えて「世界でM9が起きても、日本では起きないと考えてきた。学問的なパラダイムに縛られていた点は大きな反省だ」と語っています。島崎氏の記事の中では、学問的なパラダイムよりも、諸方面との調整を気にかけていたようだが、この人に地震調査委員会の委員長をさせていて大丈夫か?
阪神・淡路大震災後、設置された地震調査研究推進本部(当初、総理府、のち文部科学省が所管)の地震調査委員会の長期評価部会、の部会長として、島崎氏は、地震学の立場から、東北南部・関東北部地域での巨大津波の可能性を指摘する報告を、2002年7月31日、公表したそうです。
しかし彼が委員として参加した中央防災会議(ここで国の防災政策が決まる)が、記録に残っていない津波は無視する、ということに決め、東北南部・関東北部の津波の可能性を、防災対策の対象から外したそうです。中央防災会議の席上で、島崎氏は、貞観地震(津波)についても指摘し、記録にないわけではない、と抵抗したようですが、2004年2月の第2回会合では「大勢が決ま」り、2006年2月に出された大綱では、東北南部巨大津波の可能性はまったく排除された→3.11津波被害につながった、とのことです。
ここで注目しておきたいのは、島崎氏の主張を退けていった人々の画策状況です。島崎氏からの視点で書かれていますから、これだけが事態を決めていった要素かどうかは分かりませんが、彼の記事から要約しておきます。
2002年7月31日ごろ
島崎氏調査委員会の“長期評価”公表に際し、表紙に「『データとして用いる過去地震に関する資料が十分に無いこと等による限界』を考えて、『防災対策などの評価結果の利用にあたっては』注意するよう」という意味の段落が(島崎氏の反対を無視し、委員会も開かず)挿入される。
2002年8月8日
大竹政和東北大教授、今回の“長期評価”は信頼度が低いという意見を地震調査委員会の委員長宛に寄せる。
2002年8月8日
阿部勝征地震調査委員長代理、地震調査委員会で、島崎氏の“長期評価”が、防災対策側との摩擦の種になっていると発言。
2002年8月26日
地震本部政策委員会にて、内閣府の山本繁太郎委員、“長期評価”を含む諸資料の信頼度の評価を要求。
2002年9月11日
前項の要求を受け、地震調査委員会で、信頼度評価作業を行うことを決定。
2003年3月
評価結果公表、福島以南の地震・津波「発生領域C、規模A、発生確率C」(A~Dの4段階評価)。
2003年10月
中央防災会議(会長は内閣総理大臣)第1回会合。島崎氏、貞観地震・津波についての検討を要請。冷たい反応。
2004年2月19日
同、第2回会合。検討対象とする地震を次回までに決定することが決められる。この時点で、貞観地震・津波はそもそも検討対象をどれにするかの検討対象からも外れる。「福島、茨城での巨大津波は過去に経験がなく、防災対策をしていない地元に対し、具体的な対策をするようにとは、とうてい言えないとの強い反対意見」。
2006年2月
中央防災会議、福島県以南の被害を想定しない「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震対策大綱」決定。
2008年
東京電力、“長期評価”を用いて10m超級津波の「試算」を行なう。(→2011年3月7日に原子力安全・保安院に報告されたもの)
さて、島崎氏の話に出てくる人々はどういう人で、何をやっているのでしょうか。
まず、山本繁太郎。この人、官僚から自民党代議士への転身を試みて失敗、落選するも、まだ選挙活動をしているようです。政治資金の出所は、どちらの業界でしょうか?
彼のHPには、「わが国では初めて原子力発電所が被災して原子力緊急事態となり、・・・略・・・しかし、日本の国の力を信頼して、国民が心をひとつにして対処すれば、必ずこの事態を克服できるだけでなく、さらに日本の再興につなげることができると信じている。」と書いてあります。かつて内閣府政策統括官(防災担当)として何をやったかについては言及がありません。
大竹政和東北大名誉教授は毎日新聞の記事にコメントを寄せています。「福島第1原発の建設前の津波の評価が過小だったことが証明された。日本ではすべての原発が海に面している。他の原発についても、津波の評価が十分かを点検する必要がある」のだそうです。何をいまさら・・・。
最後に阿部勝征東大名誉教授。今、地震調査委員会の委員長だそうです。朝日新聞のインタビューに答えて「世界でM9が起きても、日本では起きないと考えてきた。学問的なパラダイムに縛られていた点は大きな反省だ」と語っています。島崎氏の記事の中では、学問的なパラダイムよりも、諸方面との調整を気にかけていたようだが、この人に地震調査委員会の委員長をさせていて大丈夫か?
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